ベトナム人はなぜ家族を大事にするのか

2015年9月8日ベトナム人と日本人の国民性の違いとは?

「日本人だって家族は大事だ」と言われれば、その通りだと思う。
ただ、ホーチミン市周辺で生活していると、ベトナムでは“家族”の範囲と距離感が日本より広く、濃い場面に何度も出会う。

たとえば、ベトナムでは核家族化が進んでいるとはいえ、「家族」の概念が親戚にまで自然に広がる家庭が少なくない。もちろん最優先は夫婦と子どもだが、日本の感覚でいう「親戚」とベトナムの「親戚」は、体感としてかなり違う。

私の妻の実家でも、ある日おじさんが突然やってきて、家に上がって昼食を食べて帰る。
さらに印象的なのは、その場のふるまいが“お客さん”というより“身内”に近いことだ。ご飯のおかわりを頼むのも遠慮がない。むしろ、遠慮しないのが自然に見える。

日本の「親しき仲にも礼儀あり」に慣れていると、最初は不思議に感じる。
ただ、否定的に見ているわけではない。私は転勤が多い家庭で育ち、親戚との距離がそもそも遠かったため、単純に「この感覚はどう形成されるのか」が気になった。

では、ベトナム人が家族(そして親戚)を大事にする背景には、何があるのか。ここでは大きく3つに分けて考えてみる。


1. 当然としての家族愛(情)

まず、家族を思う気持ちそのものは万国共通だと思う。
ただベトナムでは、その「情」を行動として出すことが、生活の標準仕様になっている印象がある。

助ける。気にかける。顔を出す。呼びかける。
そうした行動が「特別なこと」ではなく、「やって当たり前」の領域にある。


2. 助け合いが合理的な社会(互助)

次に、家族・親戚の助け合いは、きれいごとだけではなく合理性もある。

普段から家族・親戚に無関心な人を、いざという時に無条件で助けたいと思う人は多くない。
逆に言えば、日常的に関係を保ち、助け合っているからこそ、困った時に助けが返ってくる。

この「互助」は、家族を大切にする動機として非常に強い。
家族・親戚のネットワークが、そのまま生活のセーフティネットとして機能している面がある。


3. 学校教育と価値観の刷り込み(孝行・親を敬う)

もう一つ、私が特色だと感じるのは教育の影響だ。

ベトナムでは、親を大事にしなさい、親は子にこういう思いで接している、といったメッセージが、教育の中で繰り返し示される場面がある。形式はさまざまだが、教材映像を皆で見るようなイメージに近い。

「小さいうちに何を繰り返し教えるか」は、人の価値観をつくる。
たとえば日本でも、喫煙や交通安全の教育は幼少期から繰り返されることで、行動規範に影響していると思う。家族観も同じで、早い段階から「親を敬う」「家族を大切にする」という価値観が刷り込まれていく。


補足:今後、ベトナムの家族観は変わるのか

近年は都市化や住宅事情の変化もあり、ベトナムでも核家族化は進んでいる。
ただ、家族を優先する価値観そのものがすぐ薄れるかというと、現時点ではそう単純でもないように見える。住まいが分かれても、金銭支援や育児・介護を含む「家族の責任」が残りやすいからだ。


おわりに

ベトナム人が家族を大事にする理由は、情だけで説明できない。
家族を中心にした互助の仕組み、そして教育を通じた価値観の形成が重なり、結果として「家族(ときに親戚まで)を優先する文化」が日常の中に根付いているのだと思う。